The Wayward Realms 書籍
(日本語訳・英語原文)
騎馬の男
書籍概要
『The Horseman』は、The Wayward Realms世界におけるSplendour王国の混乱期を背景に、未来の王妃EliseとHorsemanの戦士Ganとの旅路を描いた文学作品である。
物語は、反乱によって不安定化した王国情勢の中、政略結婚のためKoventryへ向かうEliseの護衛として、Horsemanの騎士Ganが選ばれるところから始まる。最初はGanの粗野で異質な風貌に恐怖を抱いていたEliseだったが、旅の道中で彼の哲学、信仰、そして騎士としての誇りに触れていくことで、次第に自身の立場や自由について考えるようになっていく。
本作の魅力は、単なる護衛劇に留まらず、The Wayward Realms世界に存在するHorsemen文化の掘り下げにある。彼らは単なる騎兵ではなく、星空の女神Umbriaを崇拝し、“夜空を永遠に駆ける魂”という独特の死生観を持つ遊牧民として描かれている。特に「馬に名を付けてはならない」という思想は、本作全体を象徴する重要なモチーフとなっている。
騎馬の男
第一部
蛇に睨まれた鳥のように、エリーズは騎馬の男の恐ろしい姿を見上げて凍りついていた。朝日の逆光を背に、巨大な軍馬の上で前かがみに座るその姿は、まるで悪鬼の肉屋のようだった。血に染まった鎖帷子をまとい、泥と血に汚れた先の反った長靴、長い絹のチュニックを身に着けている。
頭には、スプレドゥールの騎士たちが被るものによく似た鼻当て付き兜が乗っていた。しかしそこには華美さも威厳もなく、赤錆びた表面が 男の陰鬱さを際立たせていた。鉄と錆の奥には、黒い井戸の底のような、暗いアーモンド形の瞳があった。その目はじっと彼女を見返している。エリーズは桟橋から一歩たりとも踏み出せなかった。
「お嬢様」
侍女のミラが肩を揺する。
「こちらはガン様です。旦那様が最も信頼されている騎士のお一人でございます。都まで護衛を務めてくださいます」
名前を呼ばれると、騎馬の男はわずかに頭を下げた。
「冗談でしょう。あんな怪物みたいな馬には乗れません。落ちたら頭を割ってしまいます」
「ご安心くださいませ、お嬢様。ガン様は騎手の中でも最も優秀なお方だと伺っております。危険が及ぶことは決してありません」
「嫌よ、ミラ。私はあなたたちと一緒に馬車に乗ります」
「それでは危険すぎます。もし道中で反乱軍に襲われれば、人質にされてしまいます。じめじめした牢屋で婚礼の日を迎えたくはないでしょう? これが一番安全なのです」
「だったら、この結婚自体をやめてしまえばいいわ。どうしてこんな状況で旅なんてしなければならないの?」
エリーズは肩を落とした。
「アジュヌールに帰りたい……」
「どうか気を落とさないでくださいませ。いずれお嬢様はスプレンドール全土の女王になられるのです。国中の民があなたを頼りにするでしょう。そのためには、まず今ここで強くならなければなりません」
ミラは彼女を軽く抱きしめた。
「さあ、お馬にお乗りください。到着はすでに大幅に遅れております。急がねばなりません」
「今日はずいぶん強引ね、ミラ」
「お嬢様をお待ちの方々がおられますから」
彼女は厳しい口調でそう言った。
「トマス、ヤクブ、お嬢様をお願いします」
荷物を積んでいた二人の男が歩み寄る。
ミラに押されるように巨大な馬へ近づくと、エリーズの鼓動は速まった。馬は肩までの高さだけで彼女の身長を遥かに超え、まるで人間ではなくオーガを乗せるための獣のようだった。
逃げて船へ戻ろうかとも思ったが、従者たちは彼女を軽々と持ち上げ、馬の 後ろへ乗せた。新たな重みに馬体が揺れ、エリーズの胸が跳ねる。彼女は思わず騎馬の男の背にしがみついたが、服から漂う馬の汗臭さに顔をしかめ、すぐに手を離した。
「ホウ」
騎馬の男が低く声をかけると、馬は静かになった。
「やっぱり危険です。降ろしてください」
エリーズは再び懇願した。
「ご安心ください、お嬢様。強くならねばなりません。私たちもすぐ後ろにおります。夕方には婚約者様の腕の中ですよ。女神々のご加護がありますように」
ミラは手を振り、馬車隊の方へ戻っていった。
騎馬の男が踵で軽く馬腹を蹴ると、馬は桟橋を離れて歩き出した。
エリーズは、荷物や使用人たちが馬車に積み込まれていくのを眺めながらため息をついた。彼女をコヴェントリー島へ運んできた小舟は、すでに小さな港を離れ、本土へ引き返している。短い航海で酷い船酔いに苦しんだにもかかわらず、今はあの船に戻りたいと思っていた。
ミラの言葉――未来の女王――が頭から離れない。
彼女は、反乱鎮圧のため父の富と軍事力を必要としていたスプレンドール王家との同盟のため、王子ダヴ ロスと婚約させられた。婚礼後、両国は結びつき、父は軍勢を送り込んで反乱軍を一掃することになる。
結局、自分は女王ではなく、ただの取引材料なのだ。
涙が頬を伝い、彼女はそれを振り払うように前方へ目を向けた。
彼らが上陸した小さな村は実に素朴だった。道沿いには簡素な木造家屋が並び、やがてその景色は広大な牧草地へと変わっていく。牛たちが草を食み、風に揺れる穀物畑がどこまでも広がっていた。
馬は石畳を力強く鳴らしながら進み、しばらくして騎馬の男は馬を脇道へと逸らした。農地を横切る細い土道だ。
大通りを離れ、新鮮な田舎の空気を吸えることに、エリーズは少し安堵していた。もっとも、護衛から漂う臭気がその爽やかさを台無しにしていたが。
旅はこれまで災難続きだった。
本来なら直接コヴェントリーへ船で向かうはずだった。しかし出航直前、反乱軍が王都湾の入口を軍船で封鎖し、都市周辺の海域を厳重に巡回しているという報せが届いたのだ。
反乱軍に首都を攻略する力はなかった。目的は都市を孤立させ、船の出入りを阻むことだった。
そのため、彼女たちは東岸――カーン家の領地へ上陸し、そこから湾を渡ってコヴェントリー島へ向かうことになった。そして残る道のりを馬車と騎馬で進む。最後の行程の安全確保のため、カーン家は“騎馬兵” たちを派遣していた。
今、巨大な軍馬の背に揺られながら、エリーズはただ旅の終わりを願っていた。
とはいえ、不快さを除けば旅は順調だった。
正午頃、騎馬の男は小さな池のそばで馬を止めた。
「少し休む」
そう言って彼は彼女を降ろした。
ガンは水袋を外し、馬を自由に水飲みと草食に向か わせる。そして木陰へ腰を下ろし、兜を脱いだ。
その顔には無数の傷跡が走っていた。一つ一つが死線を越えてきた証のようだった。
彼の民は奇妙な存在として見られることが多い。だがガンの暗く荒々しい姿を見て、エリーズはその理由を理解した気がした。
華美と騎士道を重んじる国において、彼はあまりにも“本物の戦士”だった。
彼女はこれまで騎馬兵たちの詩や伝承を読んだことはあったが、実際に接したことはなかった。
魅入られるように見つめていると、ガンは革袋の栓を抜き、中身 を豪快に飲み始めた。白い液体が顎と長い山羊髭を濡らす。
飲み終えた彼は満足げに息を吐き、チュニックの裾で髭を拭った。
その子供じみた仕草に、エリーズは思わず吹き出した。
ガンはようやく見られていることに気づき、にやりと笑って水袋を差し出した。
「クミスを飲むか?」
「それは何?」


