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ベトニーの戦い

War of Betony

小さな漁島をめぐる戦争は、なぜ二人の王を奪ったのか

ベトニーの戦い(War of Betony)

ベトニーの戦いは、第三紀402年から403年にかけて、イリアック湾のベトニー島をめぐり、ハイロックのダガーフォール王国とハンマーフェルのセンチネル王国が争った戦争である。決着がついたのは島から離れた本土の草原だった。ダガーフォールは島を手に入れたが、開戦時に両国を治めていた二人の王は、どちらも生きて戦後を迎えることはなかった。

『The Elder Scrolls II: Daggerfall』でプレイヤーがイリアック湾を訪れるのは、この戦争の後である。夜のダガーフォールに現れ、復讐を求める亡霊の正体は、勝った側の先王ライサンダスだった。


海賊からの保護か、隣国による侵略か

ベトニーは、イリアック湾がアビシアン海に開ける西端に位置する、漁業で栄えた島である。センチネルよりもダガーフォールに近い。争いの発端を理解するうえで重要なのは、島がどちらの王に従っていたのかという、ごく基本的な点で両国の記録が食い違うことだ。

ダガーフォール寄りの著述家ヴァルパー・ニューゲート(Vulper Newgate)によれば、ベトニーは長く独立を保っていた。湾内で海賊の活動が激しくなると、島の領主モグレフ(Mogref)は自力で島民を守るのは難しいと考え、ライサンダス王に保護を求めた。王はキナレスの高位司祭らの助言を受けてこれに応じ、島の主君となることを引き受けたという。

一方、センチネル側の著者ファヴテ(Fav'te)にとって、ベトニーがセンチネル領であることは初めから自明だった。島民が交易や信仰の自由を享受していたことも、独立の証拠にはならない。彼の筆にかかると、島の繁栄に目をつけたライサンダスは、脅迫や海賊行為まで用いて島を奪った王になる。ニューゲートが島を救う理由に挙げた「海賊」が、こちらでは島を奪う手段として現れる。

両者とも、正式に宣戦したのがセンチネルのカマロン王(Camaron)だった点では一致する。ニューゲートは、王が領有権の根拠として約二百年前の契約を持ち出したと記す。ファヴテによれば、宣戦は外交による解決を試みた末の決断だった。彼はセンチネルでこの戦争を「ベトニー包囲戦(Siege of Betony)」と呼ぶことまで書き残している。


戦火が及んだ和平会談

ニューゲートの記録では、センチネルも小規模な交戦で勝利を収めたものの、ブラフスの戦い(Battle of the Bluffs)やクラグホールド包囲戦(Siege of Craghold)といった主要な戦闘ではダガーフォールが勝った。ところが、優勢にあったはずのライサンダスが和平に動く。母のヌルファガ(Nulfaga)が息子の死を予見し、忠告を聞き入れてもらえず宮廷を去ったためだという。

仲介を引き受けたのは、中立の領地ライヒ・グラドキープ(Reich Gradkeep)を治めるグラドック卿だった。両王は会談の席に着き、条約は署名を待つ段階まで進んだ。そこで何が起きたのかについて、二冊の戦史は再び袂を分かつ。

ニューゲートの説明では、ベトニーを両国で分け合う条項に激怒したカマロンが兵に命令を下し、流血は宮殿から市街へと広がった。ファヴテの説明では、カマロンはすでに権利の一部を譲ることに同意していた。署名の直前、ダガーフォールの書記が合意とは異なる文面を用意したことに王が気づいたという。どちらの記録をたどっても、和平を取り持った土地の人々が犠牲になった結末は同じである。


クラインゲイン平原の霧と戦場での即位

第三紀403年、両軍はクラインゲイン平原(Cryngaine Field)で最後の決戦に臨んだ。ニューゲートによれば、会談の惨事から一週間後のことだった。両軍が陣を構えた森と低地の間には、花の咲く草地が広がっていた。戦いのさなか、そこへ異様に深い霧が立ち込めた。

霧が晴れたとき、ライサンダス王は喉を矢で射抜かれて死んだと伝えられた。王子ゴスリッド(Gothryd)は戦列のすぐ後方で戴冠し、新王として戦いを続行する。やがてカマロン王も命を落とし、センチネルのオレスム卿(Oresme)が降伏した。ベトニーに対する権利はダガーフォールのものとなった。

カマロンの最期は、誰の戦史を開くかで印象が逆転する。ニューゲートは、新旧二人の王が剣を交え、腕に勝るゴスリッドが勝利したとたたえる。ファヴテは、疲れ切ったカマロンが名誉のため決闘に応じたところ、勝負が始まる前に背後から討たれたと非難する。前者にとって若き王の武勇を証す場面が、後者にとっては勝者の卑劣さを示す場面なのである。


戦後に残された王女と仲介者の領地

和平に伴い、ゴスリッドはカマロン王とアコリシ女王(Akorithi)の娘オーブキ(Aubk-i)を妻に迎えた。ダガーフォールの新たな王妃は、敗れたセンチネルの王女でもあった。ニューゲートでさえ、王女を事実上の人質と見る者がセンチネル宮廷にいたことを認めている。ファヴテがたたえるのは両家の和解よりも、祖国のために父の仇のもとへ嫁いだ王女の決断だった。

和平会談の舞台にも、戦争の跡が地名として残った。ニューゲートによると、ライヒ・グラドキープの領主一族で生き残ったのは病弱な幼子だけだった。グラドック卿の親族オベロン・フライト(Auberon Flyte)が摂政となり、幼い後継者の死後、妻とともに正式な統治者となった。領地はフライト家ゆかりの地にちなみ、アンティクレア(Anticlere)と名を改めた。


ライサンダス王の死の真相

※この節は『The Elder Scrolls II: Daggerfall』のメインクエストの核心に触れます。

第三紀405年、皇帝ユリエル・セプティム7世は、亡きライサンダスの魂を鎮めるため、信頼する密使をイリアック湾へ送り出す。二冊の戦史を読み比べても解けないのが、王自身は誰に復讐を求めているのかという謎である。

ライサンダスは愛する宮廷魔術師メドラ・ディレニ(Medora Direnni)と暮らすため、公の場から姿を消そうとしていた。決戦で王の姿をしていたのは身代わりだった。メドラの助けを得た密使が本物の王の墓で亡霊と話すと、王は自分を殺した者の名を告げる。それは対岸のセンチネルの兵士ではなく、ウェイレストのウッドボーン卿(Lord Woodborne)だった。

この告白を知ると、決戦を覆った霧の読み方が変わる。二冊の戦史は「誰の矢が王に届いたか」をめぐって異なる話を伝えているが、どちらの著者も、戦場にいた人物が本当に王だったのかを疑っていない。


関連書籍『センチネルに落ちる夜』

『Skyrim』でも読めるボアリの物語『センチネルに落ちる夜(Night Falls on Sentinel)』には、ベトニーの戦いが人々の記憶にどう残ったかをうかがわせる一節がある。舞台はセンチネルの名もなき酒場。ジョミックという男は、昔の仕事をいつ引き受けたか説明するのに、ベトニーの戦いより前のことだと切り出す。聞き手の若い女性にとって、それは自分がまだ赤ん坊だった頃の出来事だ。

続く会話に出てくるのは、ダガーフォール王に嫁いだオーブキと、その弟たちの名である。戦史では和平条約の一項として語られた婚姻が、この本では、センチネルの王家を知る者なら誰でも知っている家族の来歴になっている。

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