ダガーフォール
Daggerfall
亡き王が復讐を叫ぶ、イリアック湾の古都ダガーフォール
ダガーフォール(Daggerfall)
ダガーフォールは、タムリエル北西部のハイロックにあるブレトンの港湾都市であり、この都から王が治める王国の名でもある。イリアック湾の北側、グレナンブラ半島の南部に位置し、湾の奥に栄えたウェイレスト、対岸のハンマーフェルにあるセンチネルと海上交易の利益を競った。
第二紀には、この街の城門前での勝利を記念して「ダガーフォール・カバナント」という盟約が生まれた。それから数世紀後、第三紀の街に夜ごと響いたのは、戦争で命を落としたはずの王が復讐を求める声だった。同盟の名に残る都市と、『The Elder Scrolls II: Daggerfall』の物語の発端となった王都は、同じ場所である。
港から城下へ
『The Elder Scrolls Online』で第二紀のダガーフォールを訪れると、船着き場から王の城まで、街の役割が道筋に沿って見えてくる。南の港にはベトニクやストロス・エムカイへ渡る船が着き、その先の商業地区には露店や商店が並ぶ。北の城下には宿屋〈ロージー・ライオン〉やギルドの会館があり、旅人は船を下りたその足で宿を取り、仕事を探すことができる。
この時代に街を治めるのはカジミール王(King Casimir)である。王が暮らすダガーフォール城と、商船が出入りする港がひとつの城下にある。ダガーフォールをめぐって繰り返された戦争や盟約も、この港を通じて街が誰と商い、誰と海を分け合ってきたのかをたどると理解しやすい。
短剣の伝説と、人口調査に残った村
ダガーフォールという地名には、最初の族長が短剣を投げ、その落ちた場所を領地の境と定めたという伝説がある。もっとも、ゲーム内書籍『A History of Daggerfall』の著者オディヴァ・ガルウッドは別の伝承もあると書き、語源の特定には慎重な姿勢を取っている。
地名を年代と結びつけられる古い手がかりは、第一紀246年頃にさかのぼる。ハイロックへ進出したノルドが編んだ人口調査の記録『Book of Life』には、すでにダガーフォールの名がある。そこに数えられた住民は216人。家畜まで書き留められており、海辺で魚を捕る一方、陸では牛や豚、鶏を育てていた村の暮らしがうかがえる。ガルウッドは、海と陸の両方から糧を得られたことに、集落が長く存続した理由を見いだした。
第一紀246年という数字が示すのは、あくまで地名を記した年代の目安である。ガルウッドによれば、この地に人が住んでいた考古学的な痕跡は、文字による記録よりもはるかに古い。
第一紀の台頭と、勝利が育てた競争相手
第一紀369年、スカイリムのボルガス王が命を落とし、王位継承をめぐって北方が揺れると、ノルドのハイロック支配は後退した。イリアック湾の戦略的な価値が高まるなか、ダガーフォールは陸軍と海軍を育てた。ディレニ勢力とアレッシア勢力が争った時代にはディレニ側の拠点のひとつとなり、グレナンブラの湿原での勝利に貢献した魔術師レイヴン・ディレニも、初期のダガーフォール城に住んだと伝わる。
第一紀609年にはサゴア王(King Thagore)がグレンポイントの軍を破った。これを境に、ダガーフォールはハイロック南部で軍事・経済・文化のいずれにも大きな影響を持つ王国となる。だが、湾の交易を一手に握る時代を終わらせたのも、自国が勝った戦争だった。
ダガーフォール はセンチネル、ディアグナ騎士団とともに、オークの都オルシニウムを攻め落とした。その結果、内陸から湾へ下る河川航路を商人が利用しやすくなった。新しい航路で最も栄えたのは、川沿いの小さな集落ウェイレストである。ガルウッドの記述では、わずか二十年でその交易収益がダガーフォールに並んだ。以来、湾で商いの中心がどちらに移るかは、両都市にとって長く続く関心事となった。
第二紀、城門前で生まれた盟約
第二紀542年、〈黒き竜〉デュロコラクが率いるリーチの軍勢はハイロック各地を襲い、ダガーフォールの城門にまで迫った。その城外で侵攻軍を破った戦いは、のちの上級王エメリックが若くして挙げた最初の大きな戦功でもある。勝利ののち、ダガーフォール、ウェイレスト、カムローン、エバーモア、ショーンヘルムの五王は、外敵に対して互いの王国を守ると誓った。これが最初のダガーフォール・カバナントである。
第二紀567年には、ブレトンにレッドガードとオークを加えた同盟へと再編された。『The Elder Scrolls Online』の三旗戦役に登場するのはこちらのカバナントで、上級王エメリックの宮廷も同盟の首都もウェイレストに置かれている。では、なぜダガーフォールの名を冠しているのか。その名が記念しているのは、五王が共同防衛を誓うきっかけとなった、あの城門前の勝利である。
第三紀、ベトニー島をめぐる戦争
第三紀401年の人口調査によれば、王都ダガーフォールの住民は11万人を超えた。かつて家畜まで数え上げられた沿岸の村は、同時代のセンチネルやウェイレストを人口で上回る大都市になっていた。
そのほどなく後、ダガーフォールとセンチネルはイリアック湾のベトニー島をめぐって戦った。島の領主がダガーフォール王リサンダス(Lysandus)の庇護を求めたのに対し、センチネル王カマロン(Camaron)は島への権利を主張した。ダガーフォール側とセンチネル側に伝わる二つの戦記を読み比べると、一方が正当な保護と考えた行為が、もう一方には自国の権利を侵す行為と映っていたことがわかる。
第三紀403年、クリンゲイン平原(Cryngaine Field)での決戦を経て、戦争はダガーフォールの勝利に終わった。両国はこの戦争でそれぞれの王を失った。リサンダスの子ゴスリッド(Gothryd)が王位を継ぎ、カマロンの娘オーブキ(Aubk-i)を王妃に迎えた。ベトニー島はダガーフォール側に残り、海を挟んで争った二つの王家は婚姻で結ばれた。
夜の街に現れた王と、皇帝の密命
王家の間に和平が成立しても、死者は安らぎを得られなかった。夜になると、先王リサンダスの亡霊が霊の軍勢を伴ってダガーフォールに現れ、復讐を求める声を上げた。人々にとっては、戦いで名誉の死を遂げたはずの王が、なぜ自分の都に戻ってくるのかが謎だった。
第三紀405年、皇帝ユリエル・セプティム7世は、信頼する密使をイリアック湾へ送り出した。依頼は二つ。生前の友でもあったリサンダスの霊が安らげない理由を調べること。そして、ダガーフォールの王妃に宛てて以前送ったものの、届かなかった私信の行方を突き止めることだった。
ここから『The Elder Scrolls II: Daggerfall』の物語が始まる。題名に掲げられた王都は謎の出発点であり、密使の旅はハイロックとハンマーフェルの両岸にまたがる。王の死と一通の手紙を追ううちに、ダガーフォール、センチネル、ウェイレストの宮廷が、それぞれ異なる思惑を抱えていることが明らかになる。
西方の歪みが変えた国境
第三紀417年、巨大な真鍮のゴーレム〈ヌミディウム〉をめぐる争いの末、イリアック湾一帯で時間の経過そのものが食い違う異変が起きた。後世に「西方の歪み(Warp in the West)」と呼ばれる出来事である。ゲーム内書籍『The Warp in the West』には、ある日が丸ごと失われたかのように戦況が変わり、当事者にさえ隣国の軍がいつ進んできたか説明できなかった様子が記されている。
同書が異変の直前に数えた王国・伯領・男爵領などは、周辺の未征服地を含めて44にのぼる。異変を経て、湾の勢力図はダガーフォール、センチネル、ウェイレスト、オルシニウムの四大勢力に集約された。ダガーフォールは領土を広げたが、かつてともにオルシニウムを攻めたセンチネルも、そのオルシニウム自身も、同じ異変を経て力を増したのである。
